幸せに条件なんてない


こんにちは、ナツコ(@natsuko_n.yoga)です、今日もよろしくお願いします:)
クリスマスを過ぎて、華やかさの峠越えて一気に年末モードですね。


今年最大の気づきを、、
個人的な話を含みますが、今年最後の新月を迎え、今年のうちに自分に落とし込みしたいと思ったので。。

「幸せに条件なんてない」ってことは
結構早いうちからマインド(頭)レベルでは理解していたのですが、ハート(心)で感じることができていませんでした。
「頑張れば幸せになれる」は「頑張らないと幸せになれない」ということでもあって、自身がそう思っているかぎり、そうでしかないんです。
これまで無意識に、努力の対価として自分の望むものを得ていたかもしれません。
確かに頑張った分だけ成長できたし、実践すればそれなりの結果を見出すことができました。
でも今、どんなに努力してもなかなか見えてこない未来に不安を感じ、若干の挫折感を抱いています。
つい人と比較して自分を惨めにして、また別の人と比較して慰めようとし、さらにその度に「比較してはいけない」と自分を責める、
無意識のパターンから抜け出せなくなっていました。


「いい加減このパターンから脱却したい。なぜ他人に引け目を感じ、頑張らなければいけないと思い込んでいるのか?」

ある日ふと、ハート(心)として聞くことができたとき、
急に空から答えが降りてきたりはしないのだけど、その代わりにじわ~っと、自分の内側にいくつかの記憶が浮かんできました。


私を最も愛してくれて、私が最も尊敬している人が「努力して人生を変えた人」だったのです。


その人は昔家が貧しく相当な苦労をしたらしいのです。
優良とは言い難い環境の中で誰の力も借りず、自分で将来を描き、人生を邁進した人でした。
そして私はずっと、そのストーリーを繰り返し聞いていました。

だからと言って、その人は私に努力を強いたことはありません。
自分が苦労をした分、私たちには同じ思いをさせないようにと心から可愛がってくれました。
なのに私はそのストーリーから「努力すれば幸せになれる」ことを受け取り、
努力や忍耐の先に幸せがあるという幻想を描き、それが見いだせないことに挫折を感じていたのかもしれません。
確認することは叶いませんが、その人が伝えたかったのはそれではなかったんじゃないかなと今思います。




なぜなら、その人は正面から私を大切にしてくれたから。
私が何をしようと何をしなくても許してくれました。
そして、これからも、私がどんな私であろうと見守ってくれていることに変わりません。

ああ、そうだったんだ。なんか腑に落ちた。

どんなモノやコトも、「それがあるから幸せ」というわけじゃないんです。
努力も忍耐も時に試されることがあるかもしれないけど、それすら条件ではありません。

根元にあった小さな違和感に気づくことができたので、立ち戻って、癒して、それからまた導いていこうと思います。
せっかくここまで来た道を戻るような感覚もあるかもしれないけど、これまで繰り返したことも決して無駄ではなく、
今の私のタイミングで気づくことが必要だったと思うのです。

今夜はゆっくり眠れますように。
ありがとうございました:)

N.yoga

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